スワヴェク・ヤスクーケ特集
スワヴェク・ヤスクーケ特集/笠井 隆

 2002年8月、放浪中にベオグラードから夜行バスで洪水後のなおも美しいブダペストにやって来た私は、宿の近くのジャズクラブを訪ねた。ただふらっと聴きに行くつもりが、この場所で繰り広げられる演奏のあまりの迫力に身を乗り出して聴いた。目にも止まらぬ速さの遊び、即興、歌う楽器・・。すべてが自然にミュージシャンの体の中から溢れ出していた。もともとジャズの人間ではない私も「ハンガリーのジャズってなんてレベルが高いんだろう!こんなの日本でも聞いたことない!」それまでの寝不足も吹っ飛んでしまった。休憩中、私はべーシストと話す機会を得た。14歳くらいからプロとして活動してきて、兄と一緒のバンドで、これまでにアルバムを何枚もリリースしているという。

このべーシストこそ、トリオ・アクースティックのペーター・オラーだったのだ。その後、“Autum Leaves"(※1)から"Sakura"(※2)までアルバムを聞かせてもらい、私は彼らの音楽を夢中で聴いた。地の底から体中を震わすようなベース、息を継ぐ暇もないほど狂乱的に踊るピアノ、しかも全体として、燃え尽きる最後の一瞬まで情熱を噴出させる、密度の高い演奏。まさに細胞が飛び跳ねるような刺激だった。

私は、このライヴを機に、ベーシストのペーターを通じて、メンバーともだんだん親しくなった。もしかすると、みなさんはもうご存知かもしれないが、ピアニストのゾルタン・オラーは、ペーターの実のお兄さんなのである。そんな彼らがある日私に語った。「今度、新しいアルバムを作るんだ。名前はもう”Gypsy Eyes“ に決まってる。」

その計画が実現し、今回、日本でガッツプロダクションの笠井さんのご尽力により先行リリースということになった。ポルトガルのファドという音楽を歌っている私は、専門家のようにジャズのことを語ることはできないが、親しい音楽仲間であり、尊敬するアーティストであるトリオ・アクースティックの新アルバム“Gypsy Eyes"が生まれた背景をご紹介したい。

まず、「ジプシー・アイズ」というこのタイトル。それは、ゾルタンとペーターがハンガリー人のジャズミュージシャンでありながら、一方で、ジプシー(現在は「ロマ」と呼ぶ)の血を受け継いできており、このアルバムの制作は、そんな彼らのルーツへの回帰の意味もあったからだ。

トリオ・アコースティックは1995年に結成された。当時、兄ゾルタンは22歳、弟ペーターは18歳で、結成時に在籍していた同じくロマのドラマーのエミル・イェリネクも18歳という若さだった。前作“Autumn Leaves"(95')はこの頃の作品である。以後、7枚のアルバムをハンガリーのPannon Jazzからリリースしてきた。その中には、同じくハンガリー・ロマ出身で、現在ドイツで活躍するサックス奏者トニー・ラカトシュとの録音"Caravan"(98')や日本の民謡をアレンジした"Sakura-Tribute to Japan-"などが含まれている。アルバムをリリースするごとに、地元ハンガリーでも一流のジャズトリオとして名を馳せるようになっていった。

ハンガリーの優秀なジャズミュージシャンは彼らのようにロマにルーツを持っていることが多い。感情に身をまかせて歌うように、自由に変わる「旋律」と「リズム」。炎のようなパワーで風のごとく駆け抜け、まるで何事もなかったかのように微笑む。ロマの音楽家について、私はこんなイメージを持っている。とりわけ、私が感銘を受けたのは、ハンガリー・ロマ音楽家の器の大きさである。バイオリン、ヴィオラ、ツィンバロム、チェロ、ベースなどの西洋の楽器を駆使して彼らはおよそすべてのスタイルを演奏するのである。ロマ音楽がエスニックで野性的なものという一般的イメージを超えて、ルーマニア、バルカン、ハンガリーの民族音楽そしてジャズ、クラシックまですべてを器用にこなすのだ。しかも、それぞれを混合させて、彼らならではの洗練された形を創り出してしまうのである。

ゾルタンとペーター、このオラー兄弟が音楽家として生まれた背景には、こうしたブダペストのロマの豊かな音楽の伝統が当然のごとく存在している。彼らの父であるゾルタンはハンガリーのロマ音楽のチェロ奏者で、世界的なスターとなったロビー・ラカトシュの父と長年共演した経歴をもつ。アフリカから南米まで世界中を回って演奏ツアーをしてきた人だ。その兄弟はヴィオラ、従兄弟はツィンバロムなど、音楽に携わる者ばかりの生粋のロマ音楽一家である。息子でピアニストのゾルタンも、べーシストのペーターも肩をはることなく、自然に音楽が生まれる環境で類稀な音楽性を育み、誇り高いロマの音楽家の立居振舞もこの環境から学んできた。ブダペストの郊外の団地に暮らすオラー一家。小さな部屋の隅にはウッドベース、チェロが所狭しと置かれている。兄と弟は、経済的には豊かとはいえないが最高の文化水準を誇るオラー家の伝統をしっかりと受け継ぎ、それを踏まえて新しい創造にとりかかってきた。兄・ゾルタンは1973年生まれ、現在、28歳のピアニスト。古いピアノの調律を自分でしながら弾き続けてきたゾルタンは、口数少ないが、いつも温かい微笑を絶やさない。この人がピアノに向かうと、たちまちに素晴らしい即興演奏が始まる。アルバムに収録された曲のほとんどが彼の作曲、編曲であるように、その場で絵を描くかのように曲を料理する才能に長けている。私もファドの曲をブダペストで録音したのだが、彼の洗練された即興アレンジの力量には唸るしかなかった。弟でべーシストのペーターは1977年生まれの25歳。もともとピアノを弾きたかったが、一つしかない家のピアノを兄と争うのがいやだったという。その後、ウッドベースの「低い声」に惚れこみ、クラシックの音楽院でソリストとして活躍しながら独学でジャズを習得した。ペーターが運びやすいエレキベースを買ってきた際、アンプも必要だと訴えると、父ゾルタンは、「そんなものを使ったら女々しい音になる。生音でやれ!」と言い、アンプなしで練習させたという。だから、彼のベースの音は太く強いのであろうか。実は、ペーターには、今年2月にファドの演奏を手伝いにハンガリーから来日してもらったのだが、彼のベースはまさに歌ってくれ、3コードのファドに新鮮な命と洗練された色を与えてくれた。

 ペーターいわく、「いつでも僕らはパワーと繊細さを求めている。僕らの親が皆そうしてきたように、そのために必要なのは音楽家同士のコミュニケーションだ。お互いが演奏を通じて話し合い、語り合うことだ。」

ドラマーのギョルギ・イェセンスキーはロマの出身ではないが、「炎」の本質を絶やすことなく、細部まで行き届いた繊細で素晴らしいドラムを聞かせてくれる。熊のように大きなユーリはとても無口で温厚な人だが、音楽の話になると子供のようにはしゃぐ、まさにミュージシャンの典型の人だ。

"Gypsy Eyes"はロマ出身の国会議員の力添えで、ロマ評議会の古ぼけた事務所がもつ小さな小さな「劇場」で行なわれた。ロマがいまだに社会的に周辺的存在であり、経済的援助もなくその音楽的伝統も危機に瀕している中、この評議会は若いロマの音楽家を育てたいという目的のもと、今回のアルバムの後押しをしてくれることになったのである。

アルバムに収録されている曲で5曲目の"Dzselem Dzselem"(「ジェレム・ジェレム」)はロマの国歌ともいわれるように有名な曲で、これをペーターの案でニューオリンズのリズムにアレンジしている。以前生演奏を聞かせてもらったが、アルバムではその2倍の速さで疾走している。その他、7曲目のMamoleはロシアの民謡で、ロマの歌手はよく歌っている。6/8のリズムで心地よいグルーヴが生まれ、新鮮だ。8曲目"Ai no Uta"はペーターのベースソロから生まれた曲で、私が歌詞をつけて歌っていることからタイトルは日本語になった。2曲目の"Lonely Moments"や4曲目の"Angel Voice"、6曲目の"When the Dreams Come True"などはまさにゾルタンの作風のバラードだ。3曲目の"Romano Vaker"は「ジプシーの会話」の意味。最後の"Kalo"は「黒」というロマニ語だ。

「僕らはジプシーの音楽を作りたかった。でも、いわゆる民族音楽じゃない形で。一番大切なものは『炎』。それこそが僕らロマの本質だと感じる。」ペーターは言う。

もともとハンガリー・ロマの楽器を入れたいというアイデアがあったのだが、それは次回に取っておき、今回はピアノトリオでの録音となった。ほぼすべてが一発録音であるが、オラー兄弟は、ジャズという音楽の中で、自らのルーツを見つめなおし、ロマの血をたぎらせ、爆発させている。「ロマは苦い試練の歴史を背負っているけれど、誰もその炎を奪う事はできなかった。僕達にとって、今がルーツを強く意識するときだと思う。ジプシー・ジャズというスタイルはジャンゴ・ラインハルトから始まり、その情熱は世界に知られるようになったけれど、トリオ・アコースティックはもう一つのジプシー・ジャズの形を見せたかった。聞いてくれる人たちに何かが違っていると感じてもらえたら嬉しい」ゾルタンとペーターは言う。

芸術家にとって自己表現の中で自らのルーツを見つめることは避けられない。オラー兄弟はロマのジャズミュージシャンであることに誇りと愛着を持って、今回"Gypsy Eyes"を世に送り出した。
これからも彼らの挑戦は続くだろう。気張らずに、楽しみながら、それでも熱い炎を絶やすことなく。
さて、この麗しき「ドナウの真珠」ブダペストから届いた熱い熱いジプシーの心、お聴きください。

※1 ガッツプロダクションから発売のピアノトリオ万歳シリーズ第6弾にてお聴きになれます。(品番:GPTS006)
※2 輸入盤で流通。現在のところ、ガッツプロでの取り扱いはありません。
特集バックナンバー
+ イルセ・ヒュイツィンガー特集
+ ナタリー・ロリエ特集
+ コニー・エヴィンソン特集
+ スワヴェク・ヤスクーケ特集
+ アグネスカ・スクシペク特集
+ 要チェック!ピアノトリオ特集
ジプシー・アイズ
【曲目】
1. ジプシー・アイズ
2. ロンリー・モーメンツ
3. ロマーノ・ヴァケル
4. エンジェル・ヴォイス
5. ジェレム・ジェレム
6. 夢がかなう時
7. マモーレ
8. 愛の歌
9. カロ
(5&7(トラッドをゾルタン・オラー編曲)を除き
全曲オリジナル)

メンバー:ゾルタン・オラー(p)
ピーター・オラー(b)
ギョルギ・イェセンスキー(ds)
録音:2003年1月20-21日ハンガリー・ブタペストにて録音

オータム・リーヴス
【曲目】
1. ミーティングス
2. オータム・リーヴス
3. バイ・ザ・ドリーム・カー
4. カウントダウン
5. ハズ・ザット・サマー・ゴーン
6. ラウンド・ミッドナイト
7. ニア・ザ・ファイアー
8. ミスターP.C.
9. ダーン・ザット・ドリーム
10. ジス・グレイト・ラヴ
11.グルーミー・サンデー

メンバー:ゾルタン・オラー(p)
ピター・オラー(b)
エミール・イェリネク(ds)(1-8)
ゲオルギー・イェセンスキー(ds)(9-11)
録音:1-8: 1995年11月18日、ハンガリー、ダバス、コスツセンターにてライヴ録音
9-11:1997年5月1日ハンガリー、セクシャルド、バビッツ・カルチャー・センターにてライヴ録音


ガッツプロダクション Copyright(c)2006 Gats Production Allrights reserved
当サイトの掲載データ・文章は、ガッツプロダクションの許諾無しに無断利用することはできません
HMV
メール
お問い合わせ・メールはこちら info@gatspro.com
トップページにもどる